清浄心院 本尊は、二十日大師(はつかだいし)。 大和・紀伊 寺院神社大事典 平凡社編より |
天長年間(824〜834)に弘法大師空海が草創し、初め喜多坊と称したが、後、勅命で現院号に改めたと伝えられる。平宗盛が当院を再建し、寿永・元暦(1182〜1185)の頃には滝口入道浄阿(斉藤時頼)が来往した。徳川時代には院領高35石、上杉、佐竹等の諸大名が檀家となったが、万延元年(1860)火災に罹り、現在の堂宇はその後再建されたものである。本尊は二十日大師(弘法大師作)で、他に運慶作の阿弥陀如来立像、中将姫筆の九品曼荼羅、当麻建立之図(以上重文)などがあり、門内には名木傘桜がある。 古寺名刹大辞典より |
昨今においては、昭和29年3月26日には宗教法人として国にも認可され、熱心な信者の方々に支えられ、現在に至っています。 戦後の歴代住職には、水原堯栄(不妻帯・ S.22 ̄S.40 師僧は水原弘栄) 中川善教 ( 不妻帯・ S40 ̄H2 師僧は水原堯栄 ) 山岸栄岳 ( 妻帯・ H2 ̄H12 師僧は水原堯栄 ) 山岸俊岳 ( 妻帯・ H12 ̄H15 師僧は中川善教 ) 等の学僧が、清浄心院の法灯を守り住職を歴任いたしました。高野山山内寺院の中で近年まで、戒律を重んじ、祈祷を重んじ、精進、寺内生活者は僧侶のみを守っており、建築物としては、現総本山金剛峯寺の参考になった由緒ある寺です。 |
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